レタスの花と燃えるダリア
先日、自宅ベランダで。想像することすらできなかったレタスの花を目の当たりにした。
“趣味は園芸です。”
そう言われれば、この響きに、心優しい、のんびりとした、余裕のある人間像をつい描いてしまうけど。
シビアな決断を迫られたり、害虫と戦ったり、収穫のために育てている植物が花芽をつけそうになると案外残酷なことをやらざるをえなかったり。
それ故、葛藤に苦しむこともある。
葉物の収穫を重視するならば、花芽は摘み取るのです。
咲きそうな、希望に満ちた展開をしてるそばから、ハサミでスマートに、あるいは手で少し乱暴にむしり取る。
少し心が痛んでしまうし、その先を見たいと、収穫度外視で咲かせてしまうこともある。
そしてこの度。
このリーフレタスの柔らかい食感と、ほのかな苦みは初夏に味わえたからと収穫は期待しないが故に自由な展開をしてもらっていた。
花芽をつけて。そしてついに咲いた花の可愛らしさと、とはいえどことなく野菜感抜けきらない姿。
白い粉を薄っすら纏っているようなその黄色い花を、34年間想像することすらできなかった。
園芸は期待を裏切られることも、想像より大したことなくてちょっと笑えたりなんてことも多々ありますが。
予想してなかった、期待していなかったところで見せてくれる植物の底力、力強さ、美しさに時々ものすごい勇気付けられることがあります。
最近静かに心震わせたのがこちら。
去年春、我が家に迎えたダリアが、その秋にはすっかり元気が無くなってしまっていたので、挿し木に挑戦してどうにか氏族を生き残らせようと試みたわけです。
山形の山寺、立石寺に本家の火をバックアップしておいたおかげで、逆に比叡山にまた灯すことができたという話を思い出したので。
そして本家の鉢は絶不調の後ダメになり、挿し木のダリアも奮わず。
全て諦めて忘れていたとら、影も形もないところからダリアの葉が現れ。
まさかねぇ。と思っていたら咲いてしまった。
ダリアという名前で呼ぶ以上のものを感じさせるので、この花は〔eternar flame flower〕と名付けたい。
ちょうどオレンジが炎の様ですし。
以上、園芸におけるバックアップの重要性が身にしみる話でした。